大東亞戰爭終結七十年並第二一回全國戰歿學徒追悼祭 ・ 奈良県護国神社秋季大祭並終戦七十年臨時奉幣祭
大東亞戰爭終結七十年 第二一回全國戰歿學徒追悼祭
去る10月21日 全國戰歿學徒を追悼する会(永田秀一会長)が主催する「第二十一回全國戰歿學徒追悼祭」が鳴門海峡も程近い風光明媚な兵庫県南あわじ市の大見山にある戦没学徒記念公園「若人の広場」で挙行され、当会より花房会長・高山副会長・持田相談役が参列、梶本会員が祭員として奉仕致しました。 この祭典は、昭和18年10月21日に東京 明治神宮外苑陸上競技場で出陣学徒壮行会が開催されたことに因み、「若人の広場」記念塔前にて平成7年より毎年挙行され今年で21回目となり、祭典運営は毎年 地元 兵庫県神道青年会が中心となり設営されております。 「若人の広場」は昭和42年に開設されており建築家 故丹下健三氏設計の「若者よ 天と地をつなぐ灯たれ」と刻まれた慰霊塔、そして塔の元にある「永遠の灯」を中心に据えるた全国で唯一、先の大戦において学業半ばで戦地に赴き又は軍需工場等に動員され戦歿された全ての学徒英霊を追悼する施設であります。施設は平成7年の阪神淡路大震災の後、閉鎖となりましたが、この年は戦後50年であり地元有志の熱意により第1回追悼祭が挙行され今回に至っております。本年3月には「若人の広場」の大改修が完成し慰霊と平和希求の公園は蘇って再開しました。 本年は折しも大東亞戰爭終結七十年 第二一回全國戰歿學徒追悼祭として挙行され、午前10時30分、斎主 神道青年近畿地区連絡協議会 長谷川裕高会長以下祭員奉仕により厳粛且つ盛大に齋行されました。祭典では宗派の枠を超えて仏教による般若心経の神前読経、キリスト教による賛美歌の奉唱が行われるなど独特の雰囲気があり、今回は特に裏千家前家元で先の大戦で出陣学徒として入営のご経験がある鵬雲斎千玄室大宗匠が今年の追悼祭には「是非とも戦友にお茶を献じたい」とのご連絡を受け、神前に優雅なお手前をご奉仕頂いたほか、72年前の往事を偲ばれ戦禍に散華された戦友達に献茶できたお悦びのご挨拶もありました。 この祭典は毎年10月21日 「若人の広場」公園にて挙行されており、施設は戦歿学徒を慰霊顕彰する施設として年中開園されておりますので、是非ともお越し頂ければと存じます。
奈良県護国神社秋季大祭並終戦七十年臨時奉幣祭
翌10月22日は奈良市古市町に鎮座する奈良県護国神社(宮田康弘宮司)において秋季大祭が齋行され、宮田宮司斎主のもと奈良県県神社庁各支部の代表が祭員として、そして恒例により当会よりは花房会長が典儀として奉仕致しました。また本年は終戦70年の節目であることから、天皇陛下には特別の思し召しにより全国の護国神社(旧内務省指定護国神社)に対して幣饌料の御供を仰せ出されその伝達があったことから、今年は秋季大祭に併せて終戦七十年臨時奉幣祭として齋行され、奈良県神社庁森正光庁長(石上神宮宮司)が献幣使として参向。神前に天皇陛下の幣饌料が献じられたほか、巫女による浦安の舞の奉奏された。また拝殿及び齋庭テントには県内遺族崇敬者約1000名が参列し一同で、大正琴の演奏に合わせ「同期の桜」「異国の丘」の奉唱があり厳粛且つ盛大な祭典となりました。 奈良県護国神社は昭和17年、全県民の熱誠により御創建された県出身戦歿英霊約三万柱を御祭神とする神社で、境内は万葉の故郷、高円の杜と親しまれる約一万五千坪を誇る広大な神域で、椿の名所としても知られております。 現代に生きる我々は全ての戦歿英霊の貴い犠牲の上に平和を享受しております。このブログをご覧の皆様!奈良県護国神社は英霊の御心に接することが出来、感謝の真心を捧げられる奈良県戦歿慰霊の中心施設であります。多くの皆様が護国神社に御参拝され次世代に英霊の御心を継承することにより祭祀の明かりを永遠に灯されます。英霊の慰霊顕彰を通じて、過去を学び未来の日本について考えてみては如何でしょうか? 当日は神道青年近畿地区連絡協議会の企画によります「戰歿學徒遺書遺影パネル」展示を護国神社参集殿にて催しました。直会席で賑わう室内に飾られたパネルの数々に多くの遺族の方々も見入られ、学業半ばで戦地に散華された御英霊を偲ばれてました。