丹生川上神社は天武天皇4年(675)「人声の聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」との神託によって水の神を祀ったことにはじまります。
祈雨・止雨の霊験に朝野の崇敬は殊のほか厚く、旱魃には黒馬が、長雨には白馬が献じられました。
『続日本紀』天平宝字7年5月庚午(28日)条(763)祈雨奉幣の初見以来『延喜式』に名神大社として記載され、二十二社の一社に列せられましたが、応仁の乱の頃より衰微して、戦国時代以降には所在不明となり、そのような奉幣祈願も途絶えました。
明治4年、近代社格制度により下市町長谷の丹生明神を丹生川上神社に比定、次いで明治7年に川上村迫の川上神社がその奥宮に比定されました。
明治29年より川上村の奥宮(川上神社)を「上社」とし、下市町の丹生川上神社(丹生明神)を「下社」として定められました。
大正11年、東吉野村小の蟻通神社が丹生川上神社として列格され、上社下社の2社に対し中社との位置付けとなりました。以降、三社あわせて「官幣大社丹生川上神社」として、中社を中心に祭務を執り行いましたが、戦後は神社制度の変遷により三社は独立。それぞれの丹生川上の祭祀を継承し現在に至ります。
祭神:罔象女神
境内地の夢淵は神武天皇東征の折、天神の訓により天神地祇を祀り戦勝を占った地と伝わります
令和5年(2023)罔象女神木造御神像をはじめ御神像20躯が国の重要文化財に指定されました
祭神:高龗神
平成10年(1998)大滝ダム建設にともない現在地へ遷座しました
本殿下の遺構から縄文時代中期~後期はじめの約4000年前の祭祀跡(宮の平遺跡)が出土されました
祭神:闇龗神
拝殿より延びる階は75段を数えます
境内では白馬・黒馬の神馬が飼育されています